健康と魔術修行

健康に問題があると修行は無理なのか

やっと分かりやすくて良い魔術書が見つかった、これで真剣にトレーニングが始められる。と、勇んで最初のページを開いたら、そこには「魔術のトレーニングには心身の健康が必須条件である」という文言が!えー、そんな、花粉症はひどいし、子供の頃からお腹が弱いけれど、それだけで魔術の道は諦めなければいけないの?とがっかりした人は多いでしょう。ここでは魔術トレーニングでの「健康の定義」そのものを考えてみたいと思います。

まずはご安心ください。魔術界隈には健康に問題のある先達がたくさんおられます。かのアレイスター・クロウリーは喘息持ちで、そのせいで当時の鎮咳薬だったコカインの中毒になってしまったのは有名です。その弟子のイスラエル・リガルディーもまたかなりの喘息に悩んでいたといいます。喘息は表に出やすい慢性病なので公表するしかなかったのでしょうが、周囲からは気づかれにくい糖尿病や高血圧などまで挙げていったら、きっと健康な人の方が少なかったに決まっています。それなのに魔術修行には心身の健康が必須、という金科玉条が揺らぐ気配はありません。第一、喘息に悩んでいたリガルディー自身が、自分の著作でそのような記述をしているのですから、まずはこの「健康」の定義そのものから考え直す必要がありそうです。

現在、WHO(世界保健機構)による健康の定義は「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである」という恐ろしくハードルの高いものに設定されています。肉体的と精神的な条件はともかく、社会的福祉とまでなると、財政状態や社会的な地位なども入ってくることになりますね。これを読んだ私もたった今自分の財布を開いてみましたが、とても健全には程遠い有様を確認してそっと閉じてしまいました。さすがにこれを全部クリアする人は、世界中でも数パーセントしかいないのではないか、と思います。

このブログを読んでくださっているみなさんは、私が病弱だ、ということをご存知の方も少なくないでしょう。実際、私は二十代まで生まれ育った東京を離れたことがありませんでした。修学旅行も行けないくらいで、生活のほとんどが病院の中でした。それでも魔術修行を始めちゃったぜ、リガルディーのいうことなんか無視するぜ、という黒歴史があったわけでもありません。それが可能だったのは、当時の私が、こうした趣味をよく理解してくれる主治医に恵まれていたからです。私が彼に「魔術のトレーニングって健康体じゃないとダメなんでしょうか?」と魔術書の該当箇所を見せながら質問すると、ちょっと首を傾げながら、ヘイズちゃんは健康じゃなくても元気だから大丈夫じゃないかな、と答えてくれたのです。

健康じゃなくても元気、とは謎かけの様に思えるかもしれませんね。元気という言葉は、もともと宇宙の根源的なパワーを示す「気」の用語。要は宇宙のパワーが心身全体に満ちているのが元気な状態です。身体のどこかに疾病があったり、不自由だったりしても宇宙のパワーは誰にでも平等に降り注いできているわけですから、それをしっかりと活用して無駄にしない生き方が元気であり、健康はその先にあるゴールの様なもの、と考えても良いだろうというのです。もちろん、これには異論を唱える人もいるでしょうけれど、まあ、私を魔術研究の大海原に押し出してくれるだけの説得力はあったのです。ただこのときに話し合ったのは身体の状態だけでした。

精神面はより慎重に

では、精神的な疾患の場合はどうでしょうか。これはちょっと問題が複雑になってきます。魔術のトレーニングにはヨガのように身体を駆使するものもありますが、多くの作業は精神的な分野で行われます。そのため、精神的な疾患があるとなると、いわば心臓病があるのにマラソンに出ようとしている、といった状態になってしまい、結果的には過労あるいはオーバーヒート状態で問題が悪化してしまうことが多いのです。表面的には休息にしか見えない瞑想も、実際にはかなりの精神的エネルギーを動かす作業です。そのため、精神的な疾患がある場合はまずはその治療を受けるのが先であり、魔術修行などは症状が落ち着いて主治医からOKが出てから(ここが大事ですよ)、と考えるべきでしょう。

でも疲れた心は瞑想などで癒されるのでは、と思う人もいるでしょう。はい、疲れているだけなのと、病気になっている、には大きな違いがあります。また、精神的な疾病と不調、また神経的な不調(自律神経など)と疾病でも魔術作業でのアプローチには差が出てきます。とはいえ、体の不調や怪我と違って、このような問題は目に見えません。自分でその境界線がわからないというときは、迷わず専門家の助けを借りましょう。誰だって交通事故にあって流血沙汰になったら外科に駆け込むはず。なのに精神的な不調となると、根性で!気合いで!あるいはリラックスと瞑想で!などと斜め上の方向で努力してしまうのは、百害あって一利なしとしか言いようがありません。

医学は進歩している

じゃあ、結局やるなってことなのね、などと不貞腐れなくても大丈夫だと思います。先ほどお話しした様に、私は子供の頃は病院から外に出ている方が珍しいような子供でした。でも医学が進んで、外国にも行けるようになりましたし、今は色々な土地を回って講座をしたり、そこのお友達と美味しい物を食べたりすることもできるようになりました。もちろん常用薬は手放せないし、しょっちゅう行く場所では常に救急病院の場所や設備もチェックしていますけれど、十代の頃には想像もしていなかったほど、たくさんの体験ができるようになっています。だから、今、心身の病気や怪我で苦しんでいる人も、諦めたりせず今より良くなる可能性は考えていて欲しいです。

楽観的になれといって済む話ではありませんし、ときには様々な障害が残る可能性も良く分かっています。でも、足りないところを補う方法はどんどん開発されていますし、自分でも病気と付き合う要領が飲み込めてくることも多いですから、完全な健康体でなければダメだ、などと匙を投げてしまうことはないんじゃないかな、と感じています。

誤解しないでいただきたいのは、私は魔術修行で病気が軽快したと主張したいわけではない、ということです。前述した様にあくまでも医学の進歩のおかげです。でも、それまでの日々のトレーニングや記録していた日記のおかげで、新薬が体に合っているかどうかをチェックするはとても容易でした。またある程度、規則正しい生活を送る習慣もついていましたので、新しい治療や薬が効果をあげやすかったのは否定できません。魔術トレーニングは毎日地道に続けるもので、ときどき黒いローブを着て呪文を唱えるだけではないでしょう。天使や悪魔を呼び出すよりは、日々の自分に変化を起こすことなのではないか、とも思っています。

完璧な頭脳、ルックス、体に恵まれている人なんて、きっといません。完璧な心の平安を得られている人も、きっといないでしょう。そんな不完全な人間が毎日の生活の中で右往左往しながら、魔術というちょっと不思議な方法で人生を向上させようと頑張っていくところに面白味があるような気もしています。角を曲がったところに何があるか分からないからこそ、えっちらおっちらと人生を生きる価値があるのではないでしょうか。魔術修行に必要な健康とは結局、固定した状態に執着せず日々変わり続ける状態に対応できる柔軟さ、そして自分に与えられた環境と条件を生かし切る決意と能力、に定義し直すことができる時代がきたような気がしています。

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!