ヘイズ中村
創立者・講演者
ヘイズ中村は、プロの占い師として活躍しつつ、魔術や神秘学の研究を続けるフランクな神秘家です。幼い頃から西洋神秘学の世界に惹かれて、学習に邁進しながら現在に至っています。その情熱は、病弱で入院がちだった子供時代に病室の壁を超えられるような不思議な力に憧れていたことから始まりました。やがてティーンエイジャーになると、近所の図書館で見つけられる数少ない日本語の関連書籍や、学校で習ったおぼつかない英語と分厚い辞書だけを頼りに西洋密儀思想の学習を始めます。
またこの頃にはライフ・ワークともいえるトート・タロットと出会い、より学習意欲に拍車がかかっていったのです。その後、成人してからは複数の欧米魔術団体に参入したり、親切な先輩たちに教えをうけたりしながら、学習と修行の道を本格的に歩み始めました。とはいっても、お年頃の女の子として音楽やお化粧、ファッションなどにもそれ相応の時間は使っていましたから、その辺はご心配なく。
高校を卒業してからの数年間は公務員として働きましたが、持病の悪化で退職し、しばらくアルバイトの占い師として働いたり、海外の先輩魔女のお宅に居候したりしながら過ごしていました。1985年からは、渋谷にあった占いとオカルト・グッズの店「トライアングル」様にてプロの占い師としての活動を開始。おりしも当時の日本はオカルト・神秘ブームにわいていた頃でしたので、あっという間に週に一回以上の雑誌取材、月に一回ほどのテレビ出演などを依頼されるようになり、多数の雑誌に占い原稿などを掛け持ちで執筆するようにもなりました。そしてこのお仕事から始まったご縁で、魔術書の翻訳なども始めることになったのです。
そうこうするうちに世の中はインターネットの時代に突入。それに合わせて1995年頃からお店での占い師活動は休止して、ネットの占いコンテンツを中心に執筆活動を拡大しました。ネット占いの最盛期には本人の占いサイト以外に、複数のサイト運営に関わるようになったほどです。ですが、この頃からかつて取材を受けたメディアやネットで作り上げられたヘイズ中村のイメージと、実際のヘイズ中村とのギャップがあまりに開き続けるのに嫌気がさして、メディアへの露出を最小限まで絞るようになりました。当時をよく知る人が「彼女は占い師ではなく売らない師」だと語ったほど、外界との接触を絶っていたのです。
しばらくはそんな生活を続けていましたが、2005年に縁あって東京の下町から静岡県の山奥へと転居しました。都会を離れて静かな自然の中で暮らすようになると、占い師としての活動や自分と魔術との関係などを深く見直す時間も持てるようになりました。そこで、巷に溢れるエキセントリックな表現や、机上の空論に振り回されがちな魔術活動、占い業界などの問題を直視して、行動を起こす勇気も出てきたのです。再び積極的に動き出したことで、総合オカルト雑誌『ムー』様に多くの原稿を執筆させていただくご縁も得ました。
そして2015年には、何もかもがネット経由、コンピューターや携帯のモニター越しで体験されるようになった状況を少しでも改善したいと、同じ考えの仲間たちの協力を得て、Fortuna Moon を創立しました。生身の人間との交流を重視する活動を、今も続けています。そんな忙しい日々の合間には、地元の青空市場の野菜や冷蔵庫の中の残り物を活用してオリジナルの家庭料理を作ったり、テレビでスリリングなSF番組を見たりするのが貴重な息抜きになっているのです。
主な翻訳作品
- キャンドル・バーニング・マジック
(トライアングル、1990) - ザ・コンプリート・ゴールデンドーン
(トライアングル、1993) - やさしい魔女
(国書刊行会、1995) - サバトの秘儀
(国書刊行会、1997)
主な執筆作品
- 魔女がおしえる幸せ魔法
(学研パブリッシング、2010) - 古典西洋占星術
(学研パブリッシング、2011) - 決定版・西洋の魔術書
(学研パブリッシング、2012) - 魔法世界の元ネタ図鑑
(学研パブリッシング、2013) - 天使と悪魔の事典
(学研パブリッシング、2014) - 水晶球霊視
(魔女 ☆ Maison、2015) - 性魔術
(魔女 ☆ Maison、2017) - トート・タロット入門
(学研プラス、2018) - 霊話盤の神秘
(Fortuna Moon、2021)
ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!