天国への階段
懐かしいお話です
最初に白状しちゃいますが、私はディープ・パープルあんまり好きじゃありません。中学生の頃は周りのギター小僧たちが競ってスモーク・オン・ザ・ウォーターのイントロを引くのに辟易してました。そこでの私はレッド・ツェッペリンとローリング・ストーンズのファンで、とっても少数派でした。でもいじめられたりはしませんでしたし、けっこうディープ・パープルの歌詞の翻訳とかもクラスメイトから頼まれて、ずっこけたりもしてました。だって、高速道路の星!ですから。
それはともかく。私の実家では常に洋楽が流れてました。明治生まれの祖母でさえ、おかっぱのお兄ちゃんたち、と呼んでビートルズを聴いてましたから、そこで育った私が洋楽好きになるのは当然だったでしょう。でも、今からウン十年前には歌詞の和訳なんてありませんでしたし、手に入れた歌詞カードだってかなりいい加減な聞き取りだったりしました。なので、魔術書を訳す前の私の英語修行はヴォーカルが歌うのと競争で英和大辞典をめくり続けるところから始まった、ということになります。しんどかった!
小学校の高学年くらいからそんなことばかりしていたので、中学校で英語が始まったときはこれでもっといろんな曲が理解できる!というトンチンカンな動機で一生懸命勉強しました。そして、それまでは無理そうだったので挑戦していなかったレッド・ツェッペリンの「天国への階段」の翻訳に挑戦したのです。しかし、まだ This is a pen レベルの知識では簡単ではありませんでした。ひとつひとつ、単語の上に日本語訳を書いてみては首をひねる毎日が続きました。
不思議にさせる
なかでも私が手こずったのは、この曲のなかで何度も歌われる「 It makes me wonder 」という歌詞でした。この辺でもう皆さんには予測がつくかもしれませんが、当時の私はこの言葉の上に「それは・作る・私・不思議」と書き込みました。これじゃ、なんのことか全然、わかりませんよね。しばらくの間うんうんうなって悩んでから、make の別の意味を辞書で見つけて「それは・私・不思議・状態にさせる」という書き込みに変えました。
それから結構長い間、その歌詞はそのままでした。でも何度も読み返しているうちに、あ、これは私が不思議だと感じる状態にさせられている、という表現で、つまりは不思議だなぁ、という意味なんだろうとわかりました。今でもこの瞬間のことは私にとって、ヘレン・ケラーがウォーター!と叫んだ瞬間や、アルキメデスがエウレカ!と叫びながら全裸で通りを走り抜けたことと同じような意義を持っているといっても過言ではありません。それまで対語訳でなんとか意味を理解していた英語が、私の頭の中で日本語とは別の言語として形をとった瞬間だったからです。
教訓ではありません
だからなんだ、というわけではありません。でも、私自身としてはこの一件から英語を理解するのがぐんと楽になりましたし、英語で書かれた魔術書を手に取るのも怖くなくなりました。振り返ってみれば、好きだからできた、若かったからできた、とも感じますが、あのときの情熱が今の私をかなり助けてくれているのは間違いありません。
現代では、洋楽好きな人はちょっと検索すればすぐに和訳が見つかるでしょうし、AIを使えばものの数秒でしょう。もちろん、技術は進んでいますからそれで日頃は問題はないでしょう。でも、自分が何冊も持っている魔術書を自分の力だけでは読めない、となると悲しくありませんか?
数年前、ある魔術的なイベントに参列したことがあるのですが、そこでは術者が儀式の直前になんらかの惑星対応を調べようとして、スマホで検索していました。確かに今では検索すればすぐに答えが出てくるから、対応表を覚える必要はないのかもしれません。でも、術者の中に魔術的言語システムが形成されていない状態、いわば外部にその機能を依存している状態で効果的な術式が実行できるのでしょうか。
惑星対応、生命の木の構造。そんなものを覚えるのは確かに楽ではありませんし、今では時代遅れなのかもしれません。でも以前、それにひるみそうになったとき、常に思い出したのはこの「天国への階段」での経験でした。自分の内面に新たな知識体系が構築された瞬間、あなたの世界は果てしなく拡大されます。変化なきところに魔術なし。その金言を実感するためにも、ときには自分を徹底的に追い詰めてみるのは悪くないのでは?








