断るという勇気


「講座全部で五万円と謳っているのに、実際にはもっとたくさんの金額を請求された」とか、「卒業証明書は五十万円です、それがないと受講する意味がないですよ、などと複数の人から迫られて怖かった」という話は、それこそ文字通りの「耳タコ」状態でよく聞きます。しかし不思議なのは日本全体がどんどん景気が悪くなっていく一方だというのに、こうした講座経営がいつまでも生き残っていること。毎日の買い物で数円単位の違いにため息をついている人たちが、どうしてこんなところにひっかかってしまうのでしょうか。
「講座全部で五万円と謳っているのに、実際にはもっとたくさんの金額を請求された」とか、「卒業証明書は五十万円です、それがないと受講する意味がないですよ、などと複数の人から迫られて怖かった」という話は、それこそ文字通りの「耳タコ」状態でよく聞きます。しかし不思議なのは日本全体がどんどん景気が悪くなっていく一方だというのに、こうした講座経営がいつまでも生き残っていること。毎日の買い物で数円単位の違いにため息をついている人たちが、どうしてこんなところにひっかかってしまうのでしょうか。
もちろん、どうしてこうなっているのかは簡単にわかります。ウクライナ戦争、ガザでの虐殺、さらにアメリカの大統領が世界中に仕掛けた理屈の通らない貿易戦争。そして気候変動による様々な作物の不作といった、生活への不安材料が揃い踏みなのですから、なけなしのお給料からまずは少し蓄えて、その後に値上がりした食材を買って、それ以外は節約して頑張る、という毎日になっているは当然です。占いどころではない、というのが正直なところでしょう。
最近の日本のネット界隈で、この社会の分断化現象に付随して唱えられているのが、親ガチャ外れ、という概念のようです。つまりくじ引きのように裕福で教養と愛情のある両親のもとに生まれなかったから、良い教育もうけられず、性格も歪んで、ルックスも磨くことができずに将来の可能性がない、といった論調がそこに続きます。確かに、生まれはその後の人生を大きく左右するものなのは間違いありませんが、本当にそこから抜け出すことはできないのは違う、と思うのです。与えられたものにこだわるより、自分で獲得する方法を模索するべきではないのか、と。
世界中で戦火があがり、日本でもほぼ毎日といってよいほど、世間を騒がす大きな事件がある。そんな一年でしたが、なんとか皆様のおかげで今年も最後まで走り抜くことができました。来たる一年がどんな年になるのか。世界情勢を語るのはいささか無理がありますが、せめて干支の「蛇」について語りましょうか。