魔女になりたいという人へ

最近のウェブでの流行を踏まえて

最近、ウェブ上などで魔女を名乗る人や、堂々と魔女になりたい!と発言される方が増えてきましたね。とはいえ、数が多くなればなるほど、誤解に基づく発言も目につくようにはなってきました。別に個人の発言を云々する気はありませんが、これから魔女を目指そう、という人に間違った認識を与えないように、ちょっと気になっている誤解についてお話ししたいと思いました。そこで、これまで Facebook や Twitter でぽちぽちと発言したことをまとめておきますね。

これから述べるのは、あくまでも私個人の見解です。これが絶対の正解だ!などと主張するつもりは全くありませんが、数十年間、同じ目標を目指し続けている人間の経験には少しは意味があるかも、と思って読んでいただければ幸いです。

まず、魔女になっても「開運」はできません。最近、とかく霊的求道の道を開運するか、しないか、だけで推し量る傾向が強くなってきていますね。そのせいか、魔女になってもっと開運したいんです〜という人に会うことが増えました。魔女術は、ある程度宗教的な体系です。女神や夫婦神、あるいは自然の力の尊厳を認めるものです。既存の宗教ほど厳密な戒律はありませんが、それでも自らを律する必要はあります。例えば、出家した僧侶が「仏門に入って開運するんだ!」などと大宣言したら、どう思いますか?生臭坊主、仏教をわかってない、と感じてしまうのでは?魔女術だってそうです。自然の力を尊重するのですから、幸運を他の人より多く貪ることはできません。

ときには、魔女術って何でもありだから便利なライフハックとして考えている、などという発言をされる人もいるようですね。でも魔女の修行をしたからといって人生の「いいとこ取り」はできません。これは魔女術だけではなく、他の宗教や神秘主義体系にもいえることですね。魔女としてイニシェーションを受けた、セルフイニシェーションを実行した、あるいは魔術や魔女に興味があって学び始めている、と公言しながら、御朱印集めをしたり、パワースポット巡りをしたりというのは、矛盾した行動だと思います。

つまみ食いはやめよう

別に他の宗教や学びの道を見下げている訳ではありません。これもまた先ほどと同じように、神父になろうとして神学校へ通っている方が、御朱印集めをしていたらどう感じますか?自分が進む道を優先して学ばないで何を遊んでいるんだとか、あるいはお寺や神社の御朱印などは、たかだかポケモン集め程度にしか考えていないのではないか、と思いませんか?おそらく、多くの方がそう思うはずです。でも魔女になりたいと言いながら平気でそういうことをする人が多いということは、つきつめてみれば魔女術なんてそんな程度のもの、としか思っていないから、ともいえそうです。

で、さきほど軽く例に挙げてしまいましたが、この 「いいとこ取り」ってまず、何よ、ということになりますね。よく考えてみると、結局はこの問題に煮詰まってくるようです。また、自由に精神世界を体験したい、既存の宗教に縛られるのは嫌だ、だから魔術師や魔女を目指す、という話もよく聞きます。でも魔術はある意味、本当に自分を規制するための枠組みでもあるのです。

魔術の基本は帰依でも盲信ではなく、徹底的な懐疑主義です。それは魔女術にも流れています。全ての情報を疑い、一つ一つを徹底的かつ丁寧に調べながら自分の知識や経験に追加していくのです。それを「いいとこ取り」だと勘違いしてはいけません。これが面白そう、これが効果がありそう、と飛びつき、つまみ食いを続ける行動は、「自分自身で何が良いのかを絶対的に見分けられる、宇宙全体の神秘に関して自分の判断が絶対に正しい」という傲慢さに基づいているような気がします。

逆に魔術の懐疑主義は、自分は何も知らない、というところから始まります。だからこそ、様々な知識を求め、時間をかけて検証していきます。その過程では、しっかりと検証が終わらないうちにまた別の体系をつまみ食いをしたり、開運効果や面白そうといったところだけを期待して、他の方々が真剣に信仰されている領域へ土足で踏み込むような行動も控えます。そのような行為は目の前の食べ物を盲目的に貪るイナゴと何も変わらないでしょう。聖なる力への敬意がなくなったら、神秘の道を歩む意味などありません。

こうした問題とはまったく別の視点で、志願者の方々から「魔女になると『試練』がくるのでしょうか」という質問を受けることも少なくありません。私自身はそこまで断定できるほどの体験はしていないのですが、他の現役の魔女の方から、そのようなご意見や体験を伺ったことはあります。そのような体験談はその方にとって真実ですし、確かにそうした一面があることは否定できません。とはいっても、真面目に頑張っているのに、めったやたらに不幸が降りかかってきたり、奇病に倒れたり、という現象が起きる訳でもない、と感じています。

要は、上記にあるような「不思議なことが大好きな私!」的なスタンスのまま魔女として歩み始めてしまえば、それは不都合が起きてきて当然ではないでしょうか?バチが当たるというような表面的なことではありませんが、自分の家を頑張って建築している最中なのに、そのための大工仕事をサボってはよそのお家に土足で上がり込んで勝手にそこにある食事を楽しんでいる、といった状況では、宇宙に流れる様々な力からしっぺ返しがきて当たり前でしょう。そして、魔女として、あるいは魔術師としての道を諦めることもあるでしょうし、もっと多くの場合は単に飽きてしまってフェイドアウトしてしまうのです。

途中で止めれるけれど

このフェイドアウトについても、志願者の方々から質問をよく投げかけられます。それは「一度、この道を歩み始めたらやめたらいけないのでしょうか」というもの。修行途中でギブアップしてしまうのが悪いのでしょうか。いいえ、別に自分に不向きな道を無理に続けることはありません。それは当然です。ただ、霊的探求の道は、やーめた、では済まないことが多いのも確かです。一度、その方向に進んでしまえば、そちらへと動いていくエネルギーの流れに乗ってしまうのです。私はよく、滑り台を滑りだすようなものだ、と説明するのですが。滑り台の途中で気軽に立ち止まれないように、そこから先へ到着するまでは何があるかわかりません。何かを学び続けるような事件に遭遇し続けるのか、あるいは全く予想外のイベントに遭遇するのか。それは、その「何か」が起きてからでしかわかりません。

と、こんなふうに書いてくると、じゃあ、結局は魔女になるなんて諦めるしかないの?とがっかりしてしまうかもしれませんね。でもそんなことはありません。上記のようなことを知っても、それでも挑戦したい、と思う方はおられるでしょう。また手探りで始めて、ずっと頑張る、という方もいるはずです。

魔術の道を志す方、そこでのあなたは何も知らないところから歩み始めます。不思議なことが好きだから、ではなく、不思議だと思ってワクワクするようなことから、仮面を剥ぎ取り、その仕組みを解明するために学びます。あなたは不思議なことが起きるアプリで遊ぶのではなく、霊的なOSを構築していくエンジニアになるために学びます。あなたは気軽な消費者ではなく、地道でスポットライトの当たりにくい生産者になります。

私はそうした道を歩む方と、一人でも多く出逢いたいと思っています。

著者について

ヘイズ中村は子供の頃から神秘の世界に魅せられ、長じて占い師、魔術研究家になりました。とくにトート・タロットに惹かれて『決定版・トート・タロット入門』も執筆しました。隙間時間には下手の横好きなレース編みをしたり、異次元に想いを馳せられるSF映画など楽しんだりしています。

ヘイズ中村は下記のサイトでも活躍しています。ご意見や質問などお待ちしております!